OPPENHEIMERを観終わって既に数週間。
クリストファー・ノーランに苦しめられた数週間。
悩みに悩んで、自分なりに感想を書いてみる。
観る人によって捉え方が違うだろう映画であることには間違いない。
ある人にとっては怒り。
ある人にとっては歓喜。
ある人にとっては悲しみ。
あるひとにとっては恐怖。
日本人にとっては、特に複雑な感情が渦巻く(はず)。。。
ま、個人的な感想は末尾に書くとして。
まずは、”映画”としての感想から書いてみる。
すべてのシーン、
映像に覆いかぶさる「音」が、観客の脳を洗脳していく。
キャラクター達の感情は、あらゆる「音」によって増幅されていく。
観る側の心拍数はそれに比例して跳ね上がり、脳ごとスクリーンに持っていかれる。
強烈なインパクト。
スクリーンの中で大気が爆発する。
核エネルギーの中に放り込まれる。
光と影のバランスが凄い。
タイムラインは、絶妙なモノクロとカラーの組み合わせ。
さすが、というしかない!
よね。
それに反して、”人”は淡々と描かれているように思った。
心の奥底では、色んな感情が渦巻いているにもかかわらず。
「見る側のあんたが、自分で想像しろよ。」
と、言わんばかりに。
オッペンハイマー役は、キリアン・マフィー
想像もできないほどの複雑過ぎる物理学者の心情、弱さゆえのプライドや心の葛藤を、
手の震えや足取り、見開く眼などなど、細かい動作で演じていく。
まさに適役。
題材が戦争ものだからか、メインキャストはほぼほぼ俳優陣(だったように思う)。
その中で女優陣の二人。
妻を演じたエミリー・ブラントと、愛人役のフローレンス・ビュー
相対する強さと弱さ。
オッペンハイマーという人物像の描写を、
それぞれの立場で、見事に引き出していく。
映像は、スタートした時点から、案の定、クリストファーノーラン節。
一瞬でも映画から思考を外すと置いて行かれてしまう。
大!大!!大!!! エンターテイメント映画ではあるけれど、
観客にポップコーンを、頬張り味わう時間など
与えてはくれない。
上映時間3時間。
一瞬でもうとうとと寝てしまったら、
はい、もう一巻の終わり…である。
今から鑑賞される方は、心して挑まれますよう。。
アドバイスとするならば、
この時代の歴史を、前もって少しかじっておいたほうが良いかもしれません。
【公式サイト】『オッペンハイマー』
今回鑑賞したシアター: TOHOシネマズ なんば IMAX
【個人的感情 > 映画感想】※以下はあくまで個人的感想。
ピカドン。
広島と長崎に原爆が投下されたのは、私が生まれる僅か18年前のこと。
どれだけ酷いものであったかを伝え聞き今に至る。
このエンターテイメントMovieに、被爆国日本目線の表現はない。
広島や長崎の犠牲者たちは、表現されていない。
原爆の威力を確認するシーンに、その惨状は映されない。
原爆投下されたのが日本じゃなかったら、この感情は違ったかもしれないけれど、
当時のアメリカが「早期終戦のため」と体のいい大義名分を掲げ、ただただ、自国の戦力を誇示したがったがために原爆投下したのだと、理解した。
トリニティ実験の前日、ストームが明けるのを待つ間、
スクリーンを見ながら「雨よ、上がるな。」と失敗を祈った。
祈ったところで、歴史が変わるわけではないのに。
原爆投下成功の発表を聞き、靴を鳴らし、笑顔で狂喜する研究員たちやその家族。
映像にのせた耳障りな靴音は、胸を締め付け、
悔しくて悔しくて。
号泣した。
世界一美しい方程式 E=mc^2 から悪魔の方程式を導いた
想像力の欠如したこの物理学者に
同情などしない。
惨状を聞いた後に後悔と自責の念に駆られたという彼に
同情などしない。
「トリニティ実験」
あの段階で
リトルボーイが投下した後のヒロシマ・ナガサキを
想像できたはずだから。
「我は死なり、世界の破壊者なり」といったオッペンハイマー。
「ああ、その通りだよ!」
と言ってやりたいと思う。
最後まで読んで下さってありがとう。
Thank you for reading my page.
🍀Katharine